◆移築・開館5周年に想う


――明治から今日まで数多くの歴史上の
  政財界人や文人を暖かく迎えもてなし、
  時間的に連続した空間を有する歴史的
  建造物として高く評価される――

  これは、文化庁が菜香亭の移築保存に関して調査検証した結果の報告書である。これにより菜香亭は文化庁の助成をもとに山口市によって新しく広く市民の文化交流の場として再生し5年を経過した。
 開館以来、当館を見学または利用した人たちは、I.T時代も反映し山口県内はもちろん北海道から沖縄までの列島各地に及び、韓国や中国などの国際的観光客もあった。
 県内産の建材による柱、天井、廊下に長州の年輪が匂うという見学者の声がある。
 いま、日本座敷と呼ばれているものは、鎌倉時代末期から室町期にかけて造られ、床の間を形成し掛軸などを飾り、ふすま・障子で部屋を仕切り、現在の茶道や華道など日本独特の伝統文化を生み育ててきた。
 菜香亭の日本間に籠る足音は一世紀を超えて多い。そのなかには1899(明治32)年に旧制山口高等学校教授に赴任した哲学者西田幾多郎が『吉敷の滝を見たあと菜香亭にて英独語の会あり』と西田日記に残しており、また1905(明治38)年には日露戦争でのロシア軍捕虜将校の一団が菜香亭の大広間に畳を裏返しにして収容され、初夏から早春までの約10ヶ月を過しているが当時菜香亭ではすでに西洋料理も提供できていた。
 門柱にある「祇園菜香亭」の表札は古都山口の由来を偲ぶことができ、そのゆかりに歴史のもつ町と人とのつながりを知り古い革袋に新しい酒をのことばのごとく、自然と歴史と文化の町山口をさらに新しくよみがえらせる市民の場でありたいと想う。


(平成21年11月20日発行第15号掲載)