◆明治の菜香亭の洋食

○雉のカツレツ
○フィッシュソテー
○ミルクソース
○海老フライ
○オムレツ
 十八日
 隅本様


 これは菜香亭にある明治時代の襖から出てきた下張りの 一部である。
 1860(万延1)年に日米修好通商条約の批准書交換で派遣された咸臨丸使節団がアメリカ大陸へ上陸し、サンフランシスコのホテルで供されたメニューが保存されている。
 パン、氷水、ソップ(スープ)、鮭フライ、鶏の丸焼、牛肉塩煮、カステーラ、カウヒン(コーヒー)等で 正使新見豊前守の日記も吾々には塩気も少く油の匂い強く食すること能はずなり、されど空腹にていづれも少 々食したり」との記述が残されている。
 近代日本食文化年表によると、明治維新後日本に西洋料理店が開業したのは、1869(明治2)年に函館 の町人重三郎が外国料理茶屋開業の許可を得たのが最初で、以後1877(明治10)年までに横浜の開陽亭、東京築地に精養軒が開店する。当時海軍大臣西郷従道から「海軍士官は努めて洋食をとるように」と通達が あり、世界各国と交流する海軍士官に教養とマナーを身につけさせる主旨であったという。
 その精養軒に井上馨の紹介で2年間修業した斎藤幸兵衛が菜香亭に西洋料理部門を設置したのは1887(明治20)年で、岩波書店版明治西洋料理起源には=時事新報によると山口菜香亭、下関藤六亭など相次ぐ開店で当地の牛肉価格が上昇=と記載される。
 なお前述の下張りには1899(明治32)年、伊藤博文候歓迎晩餐会にワインが登場する。
 菜香亭に残る明治の足あとである。


(平成22年3月3日発行第16号掲載)