◆井上馨

 仲秋となって菜香亭の庭木の一部にも、また近くの山口大神宮を囲む樹林にも少し色づいてきたこずえを見るようになる。
 菜香亭の亭名を揮毫した井上馨の筆力には力強さを感じさせる。
 幕末に長州ファイブのリーダーとして、伊藤博文たちと英国へ留学した井上馨の没後百年祭が先日井上の銅像が建つ湯田温泉の井上公園で行われた。この日は井上馨の分骨がある山口市の洞春寺でも井上家による百回忌の法要があり、同夜は馨が命名した当菜香亭でも井上馨を偲ぶ会が行われた。
 東京から出席された直系の井上光順さんは祭典や偲ぶ会を通じて「この度の法要を通じて井上馨を正当に評価していただきたい」と語った。
 馨は明治維新以後政府の要職に就き、近代日本の政界のひとりとして近代日本の発展に寄与している。
 長州閥政財界のウラ舞台ともいえる菜香亭に残る秘話と副題のある朝日新聞山口支局編「菜香亭紳士録には次の記述もある。当時のおごうさん齊藤清子さんの談話の一部である。」
 “以前は面白かったね。県会議員たちみんな今よりも一回りも二回りも大きかったような気がする。人間が大きいのじゃなしに、体そのものも大きかった。吉井さんにしても滝口さんにしても立派な体格でしたよ。おおらかやし仲もよかった。共産党でも山本利平さんは吉井さんとも仲良かったもん“ 
 明治、大正、昭和へと伊藤博文、山県有朋をはじめ菜香亭を直接利用した政財界人の書が菜香亭に存在し歴史の重さを感じる。


(平成27年9月30日発行第38号掲載)