◆祇園祭

 一ノ坂川に光跡のいろどりを見せていたホタルの姿が少なくなると、山口に夏まつりの季節が訪れる。
 まず七月下旬に行われる八坂神社の祭礼祇園祭で、角川版「日本行事辞典」には「山口祇園祭」として大要次のように紹介する。
―七月二十日から(もとは六月七日から)、山口市の上竪小路の八坂神社の祭礼。周防、長門、石見など西日本を領し、山口に館を持った大内弘世(一三二六―一三八0)が、京都八坂神社の分霊を勧請し、京都の祇園会の形式を取り入れたものという。二十日に御輿が御旅所に渡御、七日間滞留の後に還御する。この神幸に際して、古来京都で行われていた鷺舞が行われ、笠鉾など風流な行列がつづく。島根県津和野の弥坂神社の祇園祭で行われる鷺舞は山口のものが伝えられた。また山口の祇園会で昔は米屋町の連歌堂で連歌の催し物が行われた。――と。
 なお、祇園櫛田神社の祇園山笠はもともと十二基あったものが六基に減ったのは、一四五五年に大内氏が山口祇園に六基を譲らせたことによるもので、当時大内氏の勢力は博多にまで及んでおり、箱崎八幡宮の造営も大内氏が行っている。
 その八坂神社の由来から、菜香亭は亭名の上に「祇園」の文字をつけたもので、山口の夏祭りには祇園会から八月の七夕提灯まつりへと続く。


(平成18年7月15日発行 第6号掲載)