◆大広間の座敷

    畳
 なんにもなかった畳の上に
 いろんなものがあらわれた
 まるでこの世のいろんな姿の文字どもが
 声を限りに詩を呼び廻って
 白紙の上にあらわれてきた

 これは琉球の生んだ詩人として名高い山之口貘の「畳」と題した詩の一節である。
 菜香亭には百五十八畳敷の大広間がある。明治初年から平静に至る現在まで、百三十余年間この詩のごとく、色々な人間模様が畳の上で繰りひろげられてきた。
 明治という新しい国家体制を誕生させた初代総理の伊藤博文が菜香亭に寄せた扁額が語るように、保守から革新までいづれの筆も菜香亭に寄せられたもので、単なる蒐集による政治家たちの扁額ではない。
 大広間の畳の上には伊藤博文、山県有朋、井上馨など明治の元勲をはじめ、歴代の総理や加藤勘十、江田三郎の革新系政治家、それに西田幾多郎、久米正雄の如く学者、作家、文化人の訪れもまた多彩である。
 変わったところでは一九〇五年日露戦争でのロシア軍将校捕虜を大広間に収容したが、このときは畳を裏返しにしたという。
 俳句の季語に「夏座敷」がある。古来日本家屋では梅雨が明けると障子、フスマを取り払ってスダレを吊り涼感を呼ぶことを夏座敷と称し、庭からの風に吹かれながら青畳に座る風致は炎天を忘れさせた。団扇、扇風桟、クーラーへと時代は変遷しても畳の上における感触は忘れ難い。

  海や山や明け放ちたる夏座敷 虚子

 菜香亭の庭に秋田蕗が繁っている。


(平成19年8月15日発行第9号掲載)