施設概要FACILITY OVERVIEW
大広間扁額の世界
明治維新後の150年の歴史が一望できる、
扁額でうめつくされた百畳の大広間。
山口市菜香亭の大広間には、かつて料亭を利用された有名な方々の揮毫が掲げられています。
明治・大正・昭和・平成とそれぞれの時代で日本の命運をになった方ばかりの扁額でうめつくされた百畳の大広間にたたずむと、明治維新後の150年の歴史が一望できます。これほど壮観な眺めは他にはありません。大広間で過去をふりかえるとともに日本の行く末におもいを馳せてみられてはいかがでしょうか。
興味を持たれましたら、ぜひ山口市菜香亭へお越しになられて本物をまのあたりにしてください。
筆遣いの細目に、書かれた方の個性があらわれていて、本人と対面しているかのような気持になります。
大広間
扁額の揮毫者一覧(㉖は掛軸)
- 井上馨(いのうえ かおる/1835~1915)山口出身。長州藩討幕派の中心人物の一人として活躍。維新後、外務・内務・大蔵大臣等の要職を次々に歴任。財界に強い影響力をもつ。菜香亭の名付け親。
- 三条実美(さんじょう さねとみ/1837~1891)尊皇攘夷派公卿として長州藩と組み、文久三年の八・一八政変の後は長州藩へ「七卿落ち」し、湯田何遠亭(現・高田公園)に滞在。維新後は内大臣を務め、一時期総理大臣の職務を果たした。
- 木戸孝允(きど たかよし/1833~1877)萩出身。長州藩の指導者として明治維新に尽力し、西郷隆盛・大久保利通とともに明治維新三傑の一人と呼ばれた。
- 伊藤博文(いとう ひろふみ/1841~1909)現・光市出身。松下村塾に学ぶ。尊皇攘夷運動、英国留学、討幕運動を経て維新後は政府の要職を歴任、明治18年初代総理大臣となったのち計4回政権を担当する。
- 井上馨(いのうえ かおる/1835~1915)山口出身。還暦祝いを料亭菜香亭で行い、東京から連れてきた三遊亭円朝に一席披露させた。
- 山県有朋(やまがた ありとも/1838~1922)萩出身。短い間、吉田松陰に学ぶ。のち奇兵隊の総督としてその軍事力を背景に発言力を増す。大村益次郎死後の明治政府の軍政を担当し、徴兵令制定など基礎をつくった。陸軍元帥。総理大臣を2回務める。
- 岸信介(きしのぶすけ/1896~1987)山口生まれ。戦前は革新官僚として満州で活躍。1957~1960年総理大臣を務め、安保改定をはたす。
- 寺内正毅(てらうち まさたけ/1852~1919)山口出身。四境の役や戊辰の役で活躍。 明治10年の西南戦争で右上腕部に被弾し、臂骨を砕かれた。このため右手の自由を失い、以後は軍政畑で経歴を積み、陸軍大臣、朝鮮総督、内閣総理大臣(大正5年(1916)~大正7年(1918))を歴任し、元帥府に列した。息子の寿一も陸軍元帥となっており、親子で元帥は世界的にも珍しい。2011年3月24日より展示。
- 佐藤栄作(さとう えいさく/1901~1975)田布施町出身。1964~1972年総理大臣。菜香亭をよく利用され、ノーベル平和賞受賞記念パーティーはここで開かれた。
- 田中義一(たなか ぎいち/1864~1929)萩出身。陸軍大臣を経て立憲政友会総裁に就任。昭和2年総理大臣になるも張作霖爆殺事件をきっかけに辞職。
- 田中角栄(たなか かくえい/1918~1993)新潟県出身。1972~1974年総理大臣。幹事長時代に菜香亭に来られ、自ら揮毫を申し出られた。
- 安倍晋三(あべ しんぞう/1954~2022)2006~2007・2012~2020年総理大臣。祖父に岸信介、大叔父に佐藤栄作。2009年10月より展示。
- 竹下登(たけした のぼる/1924~2000)島根県出身。1987~1989年総理大臣。佐藤派の議員として若かりし頃より訪れてこられた。書は総理大臣を辞められたあとのもの。
- 山田顕義(やまだ あきよし/1844~1892)萩出身。松下村塾で学び、尊王攘夷運動で活躍。維新後は刑法・民法・商法の編纂公布など、わが国の法律の近代化の基礎をつくった。日本大学前身の日本法律学校創立者。国学院大学の前身である国学院の設立者。
- 加藤勘十(かとう かんじゅう/1892~1978)愛知県生まれ。政治家、労働運動家。日本社会党議員。芦田内閣で労働大臣を務める。
- 湯浅倉平(ゆあさ くらへい/1874~1940)豊浦出身。内務省入省。虎ノ門事件の際は警視総監。のち宮内大臣や、2・26事件で殺害された斎藤実のあとを受けて内大臣を務める。
- 西郷従徳(さいごう つぐのり/1878~1946)西郷従道の子。西郷隆盛の甥。陸軍大佐のち貴族院議員。
- 重宗雄三(しげむね ゆうぞう/1894~1976)岩国出身。1962~1971年のあいだ参議院議長を務め、佐藤栄作の長期政権を支えた。
- 松岡洋右(まつおか ようすけ/1880~1946)現・光市出身。外相、満鉄総裁。国際連盟脱退を断行し、のち日独伊三国同盟と日ソ中立条約の締結を成した。
- 三浦梧楼(みうらごろう/1847~1926)萩出身。戊辰戦争等に功あり。のち政治家に転身。大正時代の政党政治時代を演出する。
- 大鳥圭介(おおとりけいすけ/1833~1911)現・兵庫県出身。幕臣として歩兵奉行などを務め、五稜郭の戦いに参加。その後明治政府に出仕。政治家、枢密顧問官。
- 厳谷一六(いわや いちろく/1834~1905)現・滋賀県甲賀市出身。官吏、政治家。中国の六朝風の書体を会得。一六派をひらく。日下部鳴鶴・中林梧竹とともに明治三筆の一人。日本近代児童文学の創始者巖谷小波の父親でもある。
- 杉孫七郎(すぎ まごしちろう/1835~1920)山口出身。藩の要職を歴任。維新後はおもに宮中を活躍の場とする。書に秀で、野村素介・長三洲とともに長州三筆の一人。
- 長谷川好道(はせがわ よしみち/1850~1924)岩国出身。戊辰戦争に参加。日清・日露戦争を経てのち陸軍元帥。
- 末次信正(すえつぐ のぶまさ/1880~1944)海軍大将、周南市出身。連合艦隊司令長官、内務大臣を歴任。
- 桂太郎(かつら たろう/1848~1913)萩出身。日露戦争当時の総理大臣。「桂園時代」という一時代を築いた。戦前の首相の中で在職期間が最も長い。
- 三浦梧楼(みうらごろう/1847~1926)萩出身。戊辰戦争等に功あり。のち政治家に転身。大正時代の政党政治時代を演出する。
- 佐藤栄作(さとう えいさく/1901~1975)田布施町出身。1964~1972年総理大臣。菜香亭をよく利用され、来られた際にくつろがれた北客間の部屋は現在佐藤栄作の間と呼ばれている。
- 佐々木高行(ささき たかゆき/1830~1910)現高知県出身。土佐三伯の一人。侯爵。宮中顧問官。工部卿のときに全国視察中に来亭したと思われる。
- 後藤象二郎(ごとう しょうじろう/1838~1897)現高知県出身。土佐三伯の一人。伯爵。逓信大臣、農商務大臣を歴任。