山口市菜香亭|山口県山口市

福田礼輔初代館長コラム「菜香亭開館六ヶ月に思う」

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福田礼輔初代館長コラム「菜香亭開館六ヶ月に思う」

「西の菜時記~菜香亭だより」には、平成17年の創刊号より11年間にわたり掲載された、福田礼輔初代館長のコラムを紹介します。

野田神社の杜が紅葉に染まる二00四年十月に開館した菜香亭は、二00五年の桜の季節を迎えて半年が経過しました。
その間の来館者は見学者、利用者で二万人をはるかに越えています。山口市内は勿論、県内では周南市、宇部市、下関市が目立って多く、おどろくのは県外からの来館者が全国的であることです。
受付に置いてある芳名帳を見ますと、北九州・博多、広島・岡山がもっとも多く、次いで東京・横浜、大阪・神戸とつづき名古屋となります。新潟、富山、金沢や松江、益田など北陸、山陰もあり、目を引いたのは北海道の長万部の近くにある虻田町の人たちと、沖縄の那覇市からの見学者もあったことでした。
こうしてみると菜香亭はメディア効果もさることながら、かつて山口県庁所在地の官公庁に勤務したことのある人、全国版だった旧制山口高商や旧制山口高校の卒業生たちの菜香亭に寄せる懐旧の情があると考えられます。市内では菜香亭で結婚式をしたカップルも多くありました。明治から大正にかけて菜香亭が全国的に知られるようになった頃、作家久米正雄による菜香亭を舞台にした小説「天と地と」があります。小説の中では菜香亭が清光亭となって登場します。『清光亭というのは先々代の清水光右衛門が明治維新の頃、萩から出てきて此の土地に開いた殆ど草分けの大きい料亭である。そして明治時代の長閥の威勢に連れ山口の陸軍や県庁などの愛顧をうけ、店も相応に繁盛して成功し今日に及んだのだった。』と大正時代の菜香亭を紹介しており、作品は大正八年婦人雑誌に一年間連載され、久米正雄全集(平凡社版)に収められています。
このように歴史と文化の調和した空間は、山口のこれからの新しい歴史をつづる場所として多くの市民に愛され、活用していただきたいものです。

 

◆菜香亭をご利用の皆様へ~おごうさんからのメッセージ

新しい菜香亭はどこか、と家にも訪ねて来る人がようけござりますよ。新しいところは、なんたらハウスちゅう名前にでもしたらえかったのにと思いますが、今でも「菜香亭」ちゅうてなっとるから人が行ってのかもしれませんね。
(移築後の菜香亭の活用について)ありがたいことでござりますいね。せっかく立派なのが出来たんじゃから、利用されたらありがたいと思いますよ。菜香亭ならではのことにどんどん使うていただきたいですいね。お茶会やら何やら。自動車の置き場が広うて、それもええことでござりますいね。
立派になってから、行ってみてもええとは思いますがなかなか行かれません。体が弱りましたから…今でも、花やらを生けてあげんこともないですが。
菜香亭の移築には、福田館長さんやらのお力は本当にありがたいことでした。昔から色々な人に、世話になりすぎるほど世話になっておりますいね。ありがたいことでござります。

(平成17年5月1日発行創刊号掲載)

 

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