菜香亭の歴史
明治10年料亭創業
初代主人齊藤幸兵衛は、明治10年(1877)御用達として西南戦争に従軍したあと、八坂神社内にあった建物(大内氷上の布施家の屋敷を大丸氏が買い取って移築したもの)を買い受けました。[1]
そして料亭を開業。
創業当初の建物では、中央の15畳・4畳半・4畳半の計24畳の部屋にお客が通されていたとおもわれます。[2][3]
この建物はのち明治32年頃に建て替えられました。
[1]封筒墨書(明治35年筆記。料亭菜香亭所蔵)
平面図を入れた封筒に、文言が書かれてあり、そこから開業当初の経緯がわかります。
[2]大正15年頃作成絵図
「明治十年ヨリ第初代祖父甲兵衛創業」とあり、四代目主人吉之助作成とおもわれます。
図面左端の建物が創業当初のものです。現在の「河村写真館」に当時は接していました。現在の八坂神社参道の位置に建物はあり、当時の参道は現在の位置より東寄りにあったことがわかります。
なお、近年の発掘調査で、当時の参道入口の場所(廃業当時の料亭菜香亭の駐車場部分)には大内氏の時代に門があったことがわかりました。(料亭菜香亭の跡地は大内氏の別館跡として国史跡に指定)
中央の建物は別人の所有。後年ここを買い取り拡張しました。
[3]料亭平面図
上方に八坂神社があり、下が築山小路に接しています。
図中央下のカッコ内に、「故長府元敏公御宿トナリタリ(故長府毛利家元敏公の宿となった)」とあり、長府藩最後の藩主だった毛利元敏※が宿泊されたことがわかります。
- 毛利元敏(1849~1908)は、第12代藩主毛利元運の子。先代藩主の従兄弟が隠居したため、慶応4年(1868)3月5日、その養嗣子として跡を継ぎ、第14代にして最後の藩主となりました。
明治4年岩倉使節団に同行。明治17年子爵。現在の長府毛利邸は元敏が明治36年に建立。和歌に優れ、宮中御歌所寄人を務めました。
毛利元敏の書
料亭菜香亭には、毛利元敏の書が所蔵されています。
「いすず河 水上くらき 杉むらの おくこそいまも 神代ながけれ」
もしかしたら料亭菜香亭に宿泊されたときに書かれたものかもしれません。