菜香亭の歴史
伊藤博文の夜会
伊藤博文[1]は明治24年9月20日・21日と、明治32年5月31日に料亭菜香亭に来亭されています。
大広間に掲げてある伊藤博文の扁額は文言に「春風」とありますから、明治32年来亭時のときに揮毫いただいたものとおもいます。
伊藤博文は、明治32年、全国を遊説しました。これは翌年創立する立憲政友会のためで、広く理解と参加を求めて行脚されたのです。
その一環で、5月31日山口に来訪されました[2]。山口では県支部創設を働きかけ、地元の有力者が応じました。
5月31日は、まず午前9時より万年寺(現在の洞春寺)で談話会が行われました。
同日午後1時よりは、香山園の露山堂で懇親会[3]。
同日午後6時よりは、料亭菜香亭で夜会をされました。この席では、伊藤博文による不平等条約改正にまつわる苦労話も披露されました。
このときのことを当時の防長新聞から紹介します[4]。
「……当日、料亭の門前には、国旗が交叉し、周囲には藤棚をつくって紫色の藤花に見立てた電灯を点じ、庭木には無数の球灯を連ねた。
徳田譲甫が代表して挨拶し、伊藤博文が謝辞を述べると、一同杯を挙げた。
席上、伊藤は、あちこちの演説会でも話し忘れたことがあるのでこの席にて談話しようと、条約改正に関する歴史を話した。世間に知られていない話もあり、また大臣として関わった事蹟を直接その人の口より聞かされるので、満場は感に打たれ、時々近くで打ち上げる歓迎の花火のほかは静寂が満ちた。
伊藤は談話後も杯を手にして座客の問いに答え、演説の注釈を下した。数十名の芸妓に酒肴を送り、絃歌が奏でられると、出席者らも思いおもいに快談して、今まで静かだった会場は急に陽気になった。
そこへ馬開の奇人又兵衛という人が、女装して登場。赤毛布を前に垂らして大幅の帯に見せ、ドテラを着て内掛けとし、老妓の絃にあわせて扇尽しを舞う。と、内掛けを脱ぎ捨て、手拭いを練り鉢巻とすれば赤毛布は伊達廻しとなって関取に変身、相撲甚句を踊る。と、毛布の伊達廻しを巻きあげて頭上にかぶって腹を出す。ドン腹には眉目口鼻が書かれてあり、一寸坊となって、伊勢音頭を踊る。曲調につれて腹を膨張させ又は収縮させて書いた眉目口鼻を活き活きと動かす。
さあ、これには座客はみな腹をかかえ、伊藤博文も輝いた笑顔を見せた。主賓は午後10時頃に退散、残った客は12時ごろまで騒いでいた。」
料亭菜香亭のふすまの下張からこのときの資料が出てきました[5]。
これによると、露山堂での昼食も料亭菜香亭が作っていました。
このときは10人前を用意。猫足膳にのせて出して、料理は潮煮の蛤汁、うりなます、桃玉半餅の薄葛仕立て、御飯、香の物などです。
菜香亭での料理は折詰のほか和食を並べてお出ししています。
250人分の注文があったが300人分用意するとしています。
またブドウ酒コップを用意するよう指示が書いてあります。伊藤博文のために使用したものとおもわれます。
[1]伊藤博文 (いとう ひろぶみ/1841~1909年)
光市出身、同市荷束に記念館があります。束荷の百姓・林十蔵の子。父が萩の伊藤家の養子となり下級藩士の身分を得、伊藤を名乗ります。松下村塾に学び、吉田松陰に周旋(政治)の才ありといわれました。長州ファイブの一人として英国に留学、井上馨とともに攘夷を止めるために帰国。そのさい泊まったのが万代家の十朋亭で、万代家とはのちのちまで親しく交わっています。高杉晋作の功山寺挙兵には力士隊を率いて参加。 明治新政府では英語に堪能な事がかわれすぐに出仕。そののち要職を歴任し、維新三傑亡きあとは指導者の一人となりました。41歳のとき憲法調査のため欧州へ留学。その成果は明治憲法制定となり、確固たる地位を築きました。明治18年初代内閣総理大臣就任。明治25年、明治31年、明治33年と4回も総理大臣を務めています。
[2]明治32年5月26日付防長新聞より
広告
伊藤侯爵来県ニ付キ山口ニ於テ歓迎会ヲ開ク
県下ノ有志ノ諸君続々賛成来会アランコトヲ乞フ
其開会日時会場及会費其他ハ左ノ通リトス
- 一 五月卅一日午前九時山口萬年寺ニ於テ談話会ヲ開キ侯爵ノ臨場談話ヲ懇請ス
- 一 同日午後一時香山園ニ於テ懇親会開く。会費ハ一人金七十銭宛トス。但シ雨天ノ節ハ萬年寺ヲ会場トス。
- 一 入会希望ノ諸君ハ来ル廿九日マデニ山口町役場内渡辺管吾ヘ宛申込ニアリタシ。但各地方発企者マデ申込済ノ諸君ハ此限ニアラズ。
- 一 当日午後六時ヨリ山口菜香亭二於テ夜会ヲ開ク会費金一人三円トス入会望ミノ諸君ハ前項ニ同ジ
- 一 本会ノ諸君ハ三十日マデニ山口町役場内本懐事務所ニ就キ会費ト引換ニ入場券(談話会、懇親会)若クハ夜会券ヲ受取ラルベシ但会費ハ各都市発企人ノ内ニ於テ予メ取纏メ本項ノ手続キヲ了ヘ置カレンコトヲ望ム
発企人
[3]香山園での記念撮影(山口市歴史民俗資料館所蔵)
[4]明治32年6月2日付防長新聞より
菜香亭に於ける伊侯招待夜会
防長の有志者が為催せる夜会は一昨日午後七時より菜香亭に開かれぬ。
亭の門前には大国旗を交叉し周囲には藤棚を造り紫色の藤花に擬したる電灯を点じ庭内の緑樹には無数の球灯を連ねて不夜城とし床の掛幅置物まで注意周到に装飾し百人の会員も総て来集せしを以て馬淵委員長は同亭の本家まで来り待ち居られたる侯爵及び一行の人々を会場に案内した。
客席足つて茶菓を出し夜会掛長徳田譲甫氏は進み出で恭しく左の挨拶を為す。
会長を代表しまして謹んで不肖譲甫侯爵閣下及一行諸君に一言御挨拶を致します閣下遙かに我防長に駕を枉げられ一同閣下の御風貌に接しまして高明豊富なる御高説を承り感銘を堪へざる次第で御座ります今晩麁末ある小酌 設けまして聊か閣下及び一行諸君の労を慰めんと存じます幸に吾々の不行き届を咎められず一同の微?を察せられ御愉快に一酌を傾けられんことを一同に代わりて御挨拶申上げます。
侯爵は之れに対して諸君の厚意を謝すとの旨を答へ一同杯を挙げ酒数巡に及ぶや侯爵は宮市にても万年寺にても話して置き度と思ひしか忘れたることあれば此席にて談話せんとて条約改正に関する歴史を詳述せられたり。
其内には未だ世間に知れ渡らざることもあり又侯爵が当局大臣として大に輦悴せられたる事蹟を直接其の人の口より聞くことあれば満場感に打たれて静し時々八軒屋より打ち上ぐる歓迎煙火の外には百余の頭脳寂として声をし侯爵の演説了るや大岡代議士は吉富君其他の勧めにより一言せんとて起立して快弁を振へり。
開口先ず曰く私も伊藤侯に随従して当地に来るまで侯の演説を聞くこと十四五回に及びたるが只今の御演説中の是は今日初めて承り大に利益を得たり云々猶も進んで熱心に山口県人の奮起すべきを勧誘し拍手喝采の裏に演了せり。
侯爵の条約改正演説及び大岡氏の演説は次号に大要を掲ぐべし。
侯爵は演説後も杯を手にして座客の間に答へ演説の註脚を下し数十名の紅君に酒肴を送り絃歌を奏し会員等も思いおもいに快談して今まで静まり返つて見えたる会場も俄かに容器を生じたる所へ馬開の奇人又兵衛とか云へるは女姿に擬して赤毛布を前に垂れ大幅の帯に見せドテラを着て裲襠をし老妓の絃に和して扇尽しを舞ひ忽ち裲襠を脱ぎ捨て手拭を撚鉢巻とすれば赤毛布は伊達廻となりて好箇の関取となり相撲甚句を躍り又た忽ち毛布の伊達廻を巻きあげて頭上に被ればドン腹には眉目口鼻を書きて腹より上は毛布に陰れ好箇の一寸坊となり伊勢音頭を踊る曲調につれて腹の膨脹し又は収縮するに随い書きし眉目口鼻を活現せしむるには座客も斉しく腹を抱へ侯爵も粲然一笑せられたり。
侯爵は午後十時頃中村屋に帰館せられたるか猶も十二時頃までは絃声の湧くを聞きたり。
当日出席せし会員は左の如し
- 雑賀敬二郎
- 本間源三郎
- 徳田譲甫
- 上田寧二
- 上田實
- 小河源一
- 萬代利七
- 坂本協
- 木戸辰三郎
- 桑原護一
- 渡邊菅吾
- 部坂經三
- 海老名恕介
- 奥田道有
- 斎藤甲子太郎
- 中村?
- 吉富實太
- 中山修三
- 世良徳寿
- 阿武寿一
- 瀧川釼一
- 吉冨簡一
- 瀧口吉良
- 吉澤滋
- 馬淵鋭太郎
- 小橋一太
- 森脇勝三
- 桂梅吉
- 河村稔介
- 村岡竹之助
- 武弘宣路
- 野村恒造
- 作間久吉
- 矢島作郎
- 波根信
- 加藤精一
- 井上利一
- 吉富孫三
- 清水生輔
- 熊代慊三郎
- 石?輝一
- 硲凌聰
- 安倍猪之助
- 信吉五郎
- 秦?
- 阿野通倫
- 山田和吉
- 田中善八
- 藤村淳一
- 井上幸一
- 椿良介
- 代永寛
- 中谷速水
- 玉置塚
- 林春造
- 野村新兵衛
- 杉助右衛門
- 吉田乙熊
- 北村順造
- 西順?
- ??雄
- 安原勇實
- 秋?静三郎
- 磯部孝一
- 千々松安太郎
- 山田桃作
- ???亮
- 田?鼎三
- 土屋淵藏
- 吉岡武一
- 美祢龍彦
- 大???
- 熊谷??
- 増山宗史
- 蔵本安二郎
- 中村鍼之助
- ?川魁?
- 河口豊輔
- 藤本太一
- 藤田勝之助
- 藤田豊
- ??卯太郎
- 朝日保?
- 高野玄洞
- 名??敏恵
- 河内信朝
- ?田良春
- 三輪傅七
- 靑山正夫
- 古谷新作
- 山内文二郎
- 森鍼?
- 西田政介
- 小林三郎
- 野村安右衛門
- 長野範輔
- 林文太郎
- 來島信興
- 古?萬次郎
- 大村伊右衛門
- 澄田大和
[5]明治三十二年五月三十一日 侯爵伊藤様御歓迎録 菜香亭
酌付
台盛せんべい
御茶碗
- きびしょう
- 茶盃
- きみ
- 一 此の時ニ芸者五人 出向の事
- 一 園遊会の部
- 倍????
- 侯?
- 従????
侯爵のテーブルハ左右の弐台宛ニ弐盛仕向の事
控
- 一 只今請合御人数/弐百五拾人前/なれ共三百人前 用意の事
- 一 盃御紋付ハ上藤の金蒔絵の事
- 一 露山堂御昼賄/拾人前/猫足膳/汁はまぐり/潮煮/さきうりなます
- 桃玉半餅
- 薄葛
- しよとまし
- 御飯
- 香の物
一 酒かん場エ/幕を張切る事
一 折詰ハ
- 壱 道明寺羹
- かまふこ
- きいかん
- 小鯛
- 菊形
- かし
- 玉子
- 弐 巻寿司
攫肴
- 壱 香たけ
- 朱巻
- 今坂
- 玉子
- 夏九年母
- やきいか
- はす
- 弐 き寿司
- さは
蓋物鉢
- 取肴
- きわだ巻
- 青豆串刺
- あわびうま煮
- 梨錦合
- 菜箸
- 酢肴金銀巻
- 生魚
- 右の処杯洗五ツ
- ブドウ酒コップ
- 新処
- やきもの皿
- 通盆
- 一 上酒一本弐人宛
- 一 折詰卅一日朝ニ検査の上差渡す事